7 years ago

今日から3月、今週初めの寒さが嘘のように暖かく風が強い本日春が空襲してきた様なお日柄ですね(╹◡╹)
7年前の3月と言えば2011年3月、日本の方にとっては忘れられない月では無いでしょうか。
今日めざましテレビでやっていたんですがもうあれから7年経つのですね 実は僕は震災から1年後、6年前の3月11日。友人と被災地を訪れました。
あのテレビで見ていた風景が本当に日本のこの場所にあるのか、どんな空気なのか感じてみたいという気持ちもありましたが1番の理由は慰霊でした。自分は高校時代馬術部に所属してまして、そこでお世話になったお馬さんが引退後福島で余生を送っていたんですよ。えぇ
そこに津波が押し寄せて彼は亡くなってしまいました。福島はご存知の通り原発が制御不能に陥り、彼の亡骸は愚かいた場所にすら近付く事はできません。それでも少しは近くに行けるかなと、レンタカーを走らせ被災地を巡りました。

それはもう、昨日震災があったと言われても疑わない様な生々しい傷がそこかしこに点在していました。何より震災の破壊力と生々しさを感じたのは瓦礫の量でした。あちらこちらに山の様に積まれた瓦礫の山、これだけの物が 人々の生活が壊れたんだと、、公園や運動場に山積みにされた瓦礫が何も語る事なくそびえ立っていました。
もう一つは「匂い」陸なのに、なぜか塩の匂いがするんですよね。中でも南三陸は特に被害が大きく建物なんて物は根こそぎありませんでした。あるのは建物が建っていたと思われる基礎の部分だけ、防災庁舎も骨組みを残しまるでプラモデルの様に細々と建っていました。
車は車種が分からない程ペシャンコに潰れ、識別する為にスプレーで番号が書かれていました。津波の破壊力、と言う言葉が当時よく使われていましたが破壊力というより僕の中では何かも奪ってしまうイメージ。そこに人の生活があったんだと思えない様な光景が続き、車に書かれたナンバーや砂に埋もれている写真が、人の生活があったのだという事を表す 自然への細やかな抵抗に見えました。

そうして14:46になると町内放送と共に一斉に黙祷が始まりました。その時感じた言い様のない虚しさは忘れる事ができません。
葬いたくても亡骸もない、帰りたかった家もない。ぶつける所のない皆の思いが渦巻いて天へと昇っていく様な、、僕も亡くなってしまったお馬さんの事を考え 今頃天国で元気に走り回っていればいいなぁと そう思う事しかできませんでした。
あれから7年、蛇口を捻れば水も温かいお湯も出る。テレビも見たい時につく、少し歩けばいつでもコンビニが明るく営業している。毎日朝ご飯食べて眠い目こすって仕事に行ける。
そんな事を少しずつ、皆が当たり前だと思い出してると思います。でもそれは全然当たり前じゃないのだと、あの時を思い出すと痛感します。
皆さんも3月11日くらいは、当たり前にありふれてる物を尊んであげて下さいね。その当たり前が今でも手に入らない人達がたくさんいると思いますので。

僕も毎年3月11日は北を向き、会社の屋上で黙祷をしています。もう思い出してあげる事しかできないけれど、思い出す事ができるのは生きている自分達だけなので。
思い出して「私達は幸せだな」と思い返す、それだけで十分だと思います(╹◡╹)。

日々の当たり前にありがとうを込めて。