The people


7月23日、ドイツ代表 10番でありキャプテンのメスト=エジルが代表引退を表明した。
彼はまだ29歳、少々早すぎる引退だ。
実はこれには歴とした理由がある、今回のエジルの引退はキャリアの限界等ではなく「自分のルーツがトルコ人である事をいつまでも引っ張り続ける、一部のドイツメディアとドイツサッカー連盟の会長に対する失望。」なのだ。
一言でまとめるならば差別である。民族、血の差別が1人の素晴らしいサッカー選手の代表キャリアを終わらせてしまった。こんなに悲しい事はない。

この問題を機に色々と調べて見ると遡るは数十年前、ドイツは戦後の発展の為に移民を積極的に受け入れてきた。その時ドイツに来た移民はトルコ出身の人が最も多く、現在のドイツの人口の中でも外国人の人達は約9%。その中の25%がトルコ出身であり、人数で表すと約150万人のトルコ人が今もドイツで暮らしている。
ドイツは「我々も戦争が終わった時たくさんの難民を出した。そして他の国々にたくさん受け入れてもらった、なのでウチもたくさん受け入れよう。」と言う考えが根底にあった。きっと今はトルコ人の彼等も徐々にドイツに馴染み、え?君トルコ人なの?なんて未来になる事をドイツは考えていた。

だが現実は違った。彼等はトルコ人同士でコミュニティを作り、それが集落→村→街へと発展していった。さながらミニトルコである。そして近年、ISの脅威やギリシャの経済破綻により難民はヨーロッパ中で増加し、いよいよドイツも「難民さん達いくらでもどうぞ。」という状態ではなくなってきた。
当然、難民全てに仕事が与えられるわけではないし、彼等は何も持たず来ているわけだ。何か手に入れたければ非合法な手段を選ぶ人間も出てくる。もちろん全ての難民がそうではないけれど、一部のそういう人間がいれば難民全体が「そういう人達」だと思われる事もある。日本では難民自体がいないので考えにくい事かもしれないが、そういった難民の方々が偏見を持たれれば「トルコ系ドイツ人」の人達にも少なからず影響がある事は分かってもらえるだろうか。
付け加えると、トルコ系ドイツ人と純粋なドイツ人の間に明確な差別は存在しないそうだ。しかし就職機会なのでどうしても差があり、ルーツはトルコ人だが生まれも育ちもドイツ、もちろんドイツ語だってペラペラ。なのにそこに「見えない壁」を感じる。それが今のドイツでトルコ系ドイツ人が置かれている現状だ。

長くなったが今回のエジルの代表引退の理由は実はここにある。
エジルはドイツvsトルコの親善試合で両国の大統領と写真を撮ったのだが、それが「トルコの大統領の選挙活動に加担してるのでは?」という憶測を呼んだ。実際はエジルが両大統領と一緒に写真を撮ったのには政治的理由は一切無く、移民や貧しい家族の子供たちが一緒にフットボールをプレーしたり、生きていくために社会のルールを学べる1年間のプログラムにエジルは資金投資をしており、その活動の一環であった。しかしこの写真をきっかけに、資金提供を行なっている学校にも来ないで欲しいと言われてしまった。学校側は勘ぐられるのを煙たがったのだ。
一般メディアが好きな様に書くくらいならエジル程の選手のメンタルならビクともしないだろう。しかし自分が信じ続け、資金援助まで行っていた団体がたった1枚の写真で厄介者扱い。エジルもかなりショックを受けたとの事だ。
そして極め付けは現ドイツサッカー連盟の会長が、トルコルーツのドイツ人を差別的に見ているという事実だ。エジルは先述の写真の件で会長から説明を求められ、きちんと説明を行い目の前に迫ったワールドカップを全力で戦うという事で合意した。さらにエジルはドイツの大統領とこの件について話をし、サッカーに集中する為大統領と共同声明を発表するという約束を得た。めでたしめでたしと思われた。
しかしサッカー連盟会長はワールドカップでのドイツ代表敗退をエジルに押し付ける発言をしたのだ。その件については話し合いが終わったにも関わらず。
ここでエジルの中で生まれた感情は「ドイツという国を背負って戦う意味があるのか。」という事だ、彼の言葉にその気持ちが如実に表れている。

会長や彼の支援者の目に僕がドイツ人に映るのは僕たちが勝ったときだけで、負ければ移民に映る。

だから、ドイツで税金を納めて、ドイツの学校に設備を寄贈して、ドイツ代表で2014年にワールドカップを制したのに、僕はまだ社会から受け入れてもらえないんだ。「異物」として扱われている。」

僕の友人であるルーカス・ポドルスキやミラスロフ・クローゼは一度もポーランド系ドイツ人なんて呼ばれていなかったのに、どうして僕だけトルコ系ドイツ人になるのだろうか?トルコ人だから?ムスリム人(イスラム原理主義)だから?ここに大きな問題が根付いていると思う。トルコ系ドイツ人と呼ばれるということは、すでに一つ以上の国から来た家族を持つ人々を差別していることになる。僕はドイツで生まれてドイツで教育を受けたのに、どうして人々は僕がドイツ人であることを受け入れないのだろうか?」

-エジルの手記より-

読むと胸が痛くなってしまうが、これが現在のドイツの人種差別の現状なのだと思う。代表とは、その国を背負って戦うという事だ。その気負いは日本の比にはならないだろう。エジルは間違いなくドイツ人だ、ドイツを愛している。なのに彼が手を組んできたつもりの1部のパートナーも、彼が愛する自国のフットボールのお偉いさんも「トルコ系ドイツ人」扱いをし、ドイツのワールドカップ敗退の理由をエジルのたった1枚の写真のせいにしようとしている。キャプテンであるエジルがゴタゴタを起こしたせいでチームが機能しなかったとでも言うのだろうか。

自分も人種だの、ルーツだのと言う話は日本に住んでいる以上あまりよく分からない。ただ今回の件はエジルがあまりに不甲斐なく、なによりこんなつまらない理由で素晴らしいプレイヤーが代表のキャリアから去る事がとても悲しくて、長々と真面目に書かせて頂きました。これを読んだ方1人1人が差別について考えてくれる事が、差別を無くす1番の方法だと思っています。島国の僕等には見えてこない話ですが、昔から隣り合う国とドンパチしていたヨーロッパにはやはり根強く差別は残っています。よそ者にいい思いなんてさせたくない、信じちゃいけない、本当は我々を征服しようとしてるのでは。そう考えるのも無理はありません、そうやって勘ぐる事で生き残ってきた国ばかりですから。でもそれはスポーツとは関係ありません、結び付けたくなるのも分かります。

でもエジルはきちんと行動を起こしています、彼はきっとドイツを愛している。たとえキリスト教徒でなくても自国への愛は十分に見て取れるはず。彼のこの決断が、いつの日か彼の様な選手達を救う事を心から祈っています。