文才とはなんだろうか。
これは自慢だが、自分は文才があるとよく言われる。
文才、文章の書き方と言えばそれまでだがそれでは抽象的すぎる。
「んー、なんか全体的に。」なんて言うヤツがいる、
選手「監督、自分のウィークポイントはなんでしょうか。」
監督「んー、なんか全体的に。」
おいおいwとなる事間違いない。
さて、ここまでの文章読みやすかっただろうか?
まず、
つまりはその限られた時間内で、「まあ面白いやん」と読んだ人の暇つぶしができるクオリティは維持する必
ほう、じゃあ貴様は一体何に時間をかけてるのか、と問わればこれはもう「題名」
題名と書き出しは漫才で言う掴みだ。「どーも○○ですぅ~」
スラスラ読めるってのはつまりリズムですよリズム、ビートね。このセンテンスから感じるだろうお前のハート揺さぶるガンガンな以下略
リズムってなんやねん!と思われるかもしれませんが僕も正直よくは分かりません 笑 ただその要素の一つに「読みやすさ」があるのは確かです。例えば今回のブログで言うと出だしが
「文才とは一体なんであろうか。色々な方から自分の生み出した文章を評価されるがそれは正に、見えているが手の届かないスーパーノヴァの様な、、」みたいな出だしだったら
「なにコイツ文学者気取ってんねん!スーパーノヴァとか言いたいだけだろ!」となるでしょう、なので自分が思うに文章の読みやすさとはふむふむ、それで?ふむふむ、、と読み手が右手をスルスルとフリックできるリズムなんだと思います。どうでしょう、ここまでスルスルフリックして読んで頂けましたでしょうか?笑
後、なるべく同じ接続詞は使わない様にしています。「だから、つまり、そして、要するに、結論を言えば、さて、ところで、しかし。。」だからばかり、つまりばかり 繰り返しは人は飽きます。小さい事ですが意外と重要です。
さらにさらに、否定で始まる、否定ばかりの文章は書かない様にしてます。せっかくブログ読んだろ!と思い開いたら永遠とディスりが並ぶ、、そんなの読む気にならないと思いますし読んでも楽しくないですよね 笑
それでも否定したいと思ったら、、否定する時は冒頭でいきなりか一度肯定すると文章が攻撃的じゃなくなります。
例えば冒頭で 「結論から言えばこれは恥さらしだ」なんて書かれてたら
何が恥さらしやねん!てなりますよね。
何かを否定する時も「確かに〜は〜だよ。でも考えてみて、〜はまずいでしょやっぱり。」
とワンクッション入れると読み手もふむふむとなりやすいですよね。これは普段の会話でもそうですけどね、人は皆肯定されたい生き物なんですよ。否定される事が嫌な人はたくさんいますが肯定されて嫌がる人間はブツブツ、、いけないいけないつまらない文章になってますね 笑
最後に、僕は常日頃から胸に留めている一つのフレーズがあります。東京事変の透明人間という曲の1フレーズ
「何かを悪いというのはとても難しい、僕には簡単じゃ無い事だよ。」
これ、本当そうだなと思うんですよ。人の考えや過ち、もちろん原因はありますしそれはダメだよ!と思う事もあります。でもそれを「悪い」の一言で片付けて残る物は?本当にその人が悪かったの?悪いというレッテルを貼られた相手は何か言えるの?となると思うんですよね。意外と善悪の基準って自分本意なんですよ、この1フレーズはそういう言い表せない、大小含めた葛藤を包括してるなぁとたまに思い出します。
はい、気付いたでしょうか。上の文章も1度肯定してから書いてるんですよ。「もちろん〜」の部分ですね、スルスル読めましたでしょうか?
そろそろ読んでる皆さんの右手が疲れてきてると思いますので今日はこの辺で(^^)今週はflukeyの練習はお休みです、それではまた来週来てくださいね♪ジャン ケン ポン!
✌️ 勝っても何も無いですよ 笑
コメントをお書きください