立場が変われば人も変わる。



今日は珍しく社会派な日記を。これはアメリカの番組でムスリム信仰の人が店員、彼に対して差別主義者のお客さんが差別的発言をしまくる それに対して周りのお客さんはどう反応するかというもの。やはり皆差別に敏感なのか殆どの方が差別主義者を糾弾していますね。
しかし一部の人は差別主義者の考えを肯定しています、それが正しいか否かという議論は長くなるので割愛 笑


ではでは立場は変わり今度はアメリカ人の差別主義者が店員の場合です、当然この店員も客から袋叩きだろwwwざまぁwwwと思いきや、、
あれ?彼の差別主義に異を唱えたのは全体の半分とちょっと、差別を肯定している方も多数見受けられます。なんで!なんでや!ムスリムさんが店員の時とちゃうやないか!
なんでか自分なりに考えてみたんですがここはアメリカ人らしい考えなのかなと。「その人が物売ってる店なんだから、その人の考えが尊重されるべき」的なね。正にワンマン経営者理論ですよ、この人は店長じゃない設定ですけど 笑
前者のムスリムさんは店員としてサッカーでいうアウェーで働いているという社会的には弱い立場ですが、後者のアメリカ人は同じ立場なのに随分と強気ですよね。そう考えると世論や世の中の流れってとても怖いなと思います、こんなのどう考えたって正しくないに決まってるんですが「そう考えるのも無理ないか」と思い黙認したり、肯定したりする人が出てくるという事です。おかしいなと思ったら声をあげる事、実はとても大事な事なのではないでしょうか。
またこういった差別を肯定する人の考えが間違ってるかと言われればそりゃそうなんですが、例えば自分の息子がイランやイラクに兵役に出て酷い怪我をして帰ってきたり、行きたかった旅行がテロで中止になって行けなかったりしたら、、「ムスリムのせいで」なんて思う気持ちが出てくるのを責められるでしょうか?なので貴方達の考えは間違っている!!って言うのは簡単ですがそれを上辺だけで言ってしまうのはあまりに安っぽいかなとも思うわけです。
そう考えると動画の中のおじさんの言葉
「私の息子はイラクでの1年間の辛い兵役から帰ってきた。でもそれはこの女性とは何も関係ない事だ。」
という言葉の重みと彼の人間性には感服せざる終えません。

それでは最後に似たような実験ですが少しコミカルなヤツを。

今度は差別とは違います「いじめ」ですね。ハンバーグをいじめるという発想がいかにもアメリカ人の実験ぽく面白いんですが、注目すべきはイジメられている子に対し声を挙げた方のパーセンテージですよ。12%!?
ムスリムの店員さんには殆どの方が声を挙げました。
アメリカ人の店員に対しては約半数が声を挙げました。
ところがいじめっ子に対しては12%ってなんぞこれ?おそらくですがこれは単純にアメリカ一括りか個人かの問題だと思うんですよね。前者の2つはアメリカ人は皆差別主義者みたいな考えを持ってるよな?というのが根底にあるわけです、するとアメリカ人的には

お前と一緒にするな。

という思いが芽生えるわけですよ。もちろん差別を許せないって思いもあると思います、でも多くの人が声を挙げる理由はそこだと思うんですよね。だからいじめっ子の時は殆どの人が声を挙げないわけです、だって個人と個人の問題だもんね。そこに国民性を巻き込んだ要素は無い、だから9割近い人が見て見ぬふりなんでしょう。その代わり自分に直接関わるワッパーJrのイジメには皆超敏感という 笑
しかしそんな中でも声を挙げた人、中でもメガネの女性の対応は素晴らしいですよね。何がっていじめっ子の名前を聞いて挨拶、握手。これは人間できてなきゃ絶対できないでしょ!!
おそらくこの場合日本人の注意の仕方は「お前らなにしてんだ、イジメはやめなさい」みたいな入り方でしょう。しかしこの女性はまずいじめっ子の名前を聞いて握手するわけですよ。つまり 私は貴方の事を人として認め、対等な立場で話をする。という事をこの2つの動作で表してるわけです。いじめっ子との距離を縮めるのももちろんですが、たとえいじめっ子とは言えいきなりお前呼ばわりは失礼ですからね 笑 そしてこの入りの方が間違いなく相手は話をちゃんと聞くわけです。被害者に手を差し伸べる事は皆できると思いますが、加害者の「人をイジメる」という心を救おうと手を差し伸べる事ってなかなかできないと思います。

つらつらと書いて参りましたがいかがでしたでしょうか。日本でやったら間違いなく炎上する様な案件でしょう 笑 まぁ日本は単一民族なのでこういった問題は身近に感じないかもしれませんが、たまたま見た動画でここまで掘り下げて深く考えるとは自分でも思いませんでした 笑
まとまらないのでThe Blue Heartsの歌詞で〆ようかと思います。

 生まれた所や 皮膚や目の色で
一体 この僕の なにがわかると言うのだろう。